東京高等裁判所 昭和24年(新を)2824号 判決 1950年7月11日
被告人
大久保重治郎
主文
本件控訴はこれを棄却する。
当審に於ける訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
前略、論旨は、要するに、被告人は反覆して自己の思惑売買をしたに過ぎないので、手数料を徴し、即ち、営利を目的として、本件行為をしたものでなく、且つ、営利を目的とした証拠皆無であるのに、証券取引法第二十八条第一項違反に問擬した原判決は、重大な事実の誤認に基いて、不当に、被告人を処断したものであるから破棄を免かれないというにある。しかしながら、原審が挙示している証拠によると、被告人は昭和二十二年頃から昔使用して居つた看板を掛けて、株の売買をやつており、昭和二十三年五月頃から翌二十四年三月頃迄、約一年未満の間に、判示の如く判示数名の株式店との間に、諸株が合計四千四百五十株、この取引額合計五十二万千六百七十七円の取引をしたものであるのみならず、判示新聞類に判示のように、大久保株式店名義で判示のような広告をしたものであること、その他、諸般の証拠によれば、被告人は証券取引法第二十八条第一項の証券業者であると認定しうるから、原判決には所論のような虚無の証拠によつて事実を認定したという違法はない。
更に全訴訟記録、並に、原審が取調べた証拠を検討して見たが、原審の事実認定に、過誤ありと思はれる点はないから、証券取引法所謂証券業者でないというが、所謂営利の目的は、業務全体として、窮極の目的が営利にあれば足るものである。個々の取引について常に営利の事実が存在する必要はない。故に、本件取引中適々手数料を徴収しないでした取引があつても、それを自己の業務の一部として行つたものであれば、畢竟は営利を目的としたものと称しうる。なお、所論挙示のような証拠があつても、本件諸般の証拠から被告人が証券業を営んでいたことはこれを認むるに足るから論旨いずれも理由ないものである。税務署に対する申告についての弁疏はこれを措信することができないからこれと見解を同じうする原判決には、所論のような、事実誤認はない。なお、新聞広告についても原審証人土屋二三の該広告を掲載した新聞は、被告人に送つた旨の供述記載その他の供述記載から見ても、被告人が該広告について全然不知であつたという弁疏は措信できない。その他看板、小切手の使用等、証拠価値がないというが、これ等はすべて情況証拠として証拠能力あるものであるから、論旨理由ないものである。要するに原判決には所論のような事実誤示はない。